迷子手帳

 社会人になって、思うことがある。昔よりも本が読めないのだ。これは多くの人が言っているのを見聞きするので、みんなの共通認識だと思っている。


 これは私の持論なのだけれど、社会では「死後の世界はあるのか」「無人の森で木が倒れたら、その音は存在していると言えるのか」「この青色の絵の具は他人にとって何色に見えるのか」みたいな思考回路は要らないものだから、みんな無意識のうちに封印して生きているんじゃないかな。だから、社会で生きるモードのままで過ごしていると本が読めなくなるのだ。


 今回私が読んだのは、穂村弘の『迷子手帖』。これは死ぬまで迷子で居続けるための本であり、社会に自分の余白を殺されず、詩的に生きるための本である。穂村さんのささやかな日常とともに、彼のユニークな考えや思い出話が添えてあるエッセイ集だ。


 たとえば、こんな話がある。
 穂村さんが小学生の頃、親が転勤族だったそうだ。その影響で何度も転校をしていたそうだが、自分だけが違う制服に体操着にしゃべり方にジャンケンの仕方に……と幼いながらに気まずい思いをしていたという。
 そこで穂村さんは考えた。みんなと仲良くなって、さらに一目置かれるために、いつも肩にインコを乗せている神秘的な少年になろう、と。


 当時の彼はペットのインコを飼っており、それを肩に乗せて学校に行けば、動物と心を通わせているユニークな少年になれるんじゃないかと思ったのだ。結果的にその計画は失敗して、今ではこの話は黒歴史になっているという。
 このエピソードを読んでいると、なんだか懐かしい気持ちになった。もしもクラスのヒーローになったら、みたいな妄想は小学生の頃に誰もがしたと思うけれど、このエピソードはそんな当時の感覚を思い出させてくれる。


 こんな風に、『迷子手帖』では実学的なものからとことん離れて、穂村さんの日常とそのときどきの気持ちや考えが綴られている。日常に身を置きながらも、日常に忙殺されない人生を歩むための本。ずっと詩的に生きるための本。つまり、迷子になるための本なのだ。


 読書とはこころの旅行みたいなものだと私は思う。羅列した文字列を追って、どこまでも深く活字の海に沈んだり、あるいは一語、一節、一文を足がかりにここではないどこか遠くへと飛んでいったりする。そういう意味で、この『迷子手帖』は楽しい旅だった。穂村さんの着眼点が独特でするどいから、いつもとは違うパラレルワールドみたいな日常を味わうことができた。


 迷子になりたい人も、そうじゃない人も、一度この本を手にとってほしい。きっと読み終わった瞬間から、いつもと少し違う迷子の自分に出会えるはずだから。

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